2011年10月30日
30度 バンク!
先日、 『富士スピードウェイ』 に行ってきました。
写真は斜めに写っていますが、水平に構えています
コースの最初にある 30度バンク入り口。
以前のブログにもアップしましたが、幾多の死亡事故があったため
1974年以降 閉鎖になり、コースがリニューアルになった時
解体されると思っていましたが、『メモリアル』 として残されました
旧コース図
バンクの部分が 〇で囲ってありますが
ホントは、もう少し手前側の 最初のコーナー部分(笑)
リニューアルされて 初めて入りましたが
かなり お金が掛かっていますね~っ
日本GPが 2回しか開催されなかったのが もったいないっ
2011年10月23日
ダンロップ
以前、会社の先輩が 『富士フレッシュマンレース』 に参戦していました
この時、装着していたのが 『DUNLOP』
今では 『BRIDGESTONE』 に押され気味ですが…
ホリデーレースでしたが、本気で参戦していて
最終戦のホモロゲーションの切れる ホントの最後のレースで
優勝しましたっ
メカニックの私としても、気合の入った 『レース』 でした
2011年02月26日
なつかCM!
私がレースに、初めて興味をいだいた CM
当時の BRIGESTONE のCMです
画像は、たぶん 1980年の 富士GCレース映像で、星野一義さんの ペンタックスMCS BMW
エントラントは、ヒーローズレーシング
メンテナンスガレージは、ノバエンジニアリングですね
エンジンチューナーは、ケン・マツウラRS
音楽は ビーチボーイズ です。
こちらは、その翌年の 1981年撮影の CM。
中嶋悟さんの F2レースの映像で、マーチ812 HONDA
エントラントは、i&iレーシング
メンテナンスガレージは、i&i かな
エンジンチューナーは、HONDA RACING
こちらの CM は、深夜のMTVで流れていたもので
当時付き合っていた彼女が、曲を聴いて 『すみや』 にレコードを買いに行ってくれました
両方とも、CM中に 『モータースポーツは、リアルスポーツだ!』 というフレーズが好きで
マイナーイメージしか無かった モータースポーツがこの頃を境に
メジャーになりつつあったのを うれしく思った記憶があります。
あ~っ
なつかすぃ~っ
2010年11月15日
ワールド・チャンピオン!
F1ワールド・チャンピオンシリーズ が最終戦を迎えた。
ドライバーズチャンピオンは…
セバスチャン・ベッテル
この23歳4ヶ月の若者は、自身の優勝 かつポイントリーダの F・アロンソが5位以降でなければ
チャンピオンは取れなかった。
冷静なレース運びで無事に優勝
ゴール後まで最年少チャンピオンを知らなかった。
ベッテル、ワールドチャンピオン おめでとう
2010年10月17日
お宝さがし!
ひさびさに、林道に行ってきました
この画像の場所、わかる方いますか
いこう斎さん なら、わかりますよね
そう、 『ラリージャパン』 SS4 ゴール50m手前です。
PWRCクラス 新井敏弘選手が 3回転した 『現場』 です。
新井選手のクラッシュシーン
新井選手が ミスったわけが わかりました
ちょうど フロント部分が ヒットした 『ナラの木』 から見ると
少し道路が左に曲がっていて、直線で来るとこの木が正面になります。
この部分、めちゃめちゃ バンピーで
ジャンプする前の ステアリング修正を ミスったみたいです
インプレッサの フロントから ヒットした木。
台風で倒れた状態と同じ…
ここで お宝さがしです
もう、だいぶ日数がたっているので、無いだろうと思っていると…
あっ!
これはっ!
ランエボの パーツと、新井選手の パーツ 発見
新井選手の パーツと、右側が ヒットした部分です。
今回、ラリー終了後に林道に行けなかったので
私としては、じゅうぶんな収穫でした
林道を後にして、北大研究林へ
紅葉は、まだ始まったばかりですが
いい感じ になっているものもありました
2010年10月11日
日本グランプリ!
日本グランプリ
みなさんご覧になりましたか?
写真は、メルセデスの ニコ・ロズベルグ。
言わずと知れた、ケケ・ロズベルグ (1982年のワールドチャンピオン) の息子です
午前中の予選後の計量風景。
ミハエル・シューマッハ が久々に登場
今年は グランプリ を エンジョイ しているようですね
2010年09月18日
ラリー後日談
2年振りに、『ラリージャパン』 が開催されましたが
自転車で行ってきました。
実は、林道の状況がわからなかったので、リサーチしてから本番に臨もうと思っていました。
んがっ
いろいろな理由が重なり……
カメラの操作も、撮影場所も、コースまでの 『けもの道』 も…
ぶっつけ本番 でした
しかし、本番に弱い私が、今回は 完璧
運気が上がってきたなぁ~~っ と思いました。
今回の アイテム
デジイチはやっぱり重たい
学生の時、富士スピードウェイのレース観戦によく行っていましたが
実際レース場にいると、状況が掴みにくい。
今回も、午前の部で上位陣が通過した後、しばらくの沈黙があり
こんなに台数少なかったか と思っていると
その後、連続して通過して行きました。
どうやらコースを塞いでいたようでした。
午後の部も、通過時間になっても オフィシャル車も通過しない。
おかしいなぁと思い、ドーム観戦している友達に連絡すると
新井選手が 3回転してそれで遅れていると情報をいただきました。
今回、気合を入れて臨んだ 新井選手 残念でした
2010年09月12日
ラリージャパン
撮影してきました。
しかし、今年は金曜日の1日だけでしたので、目一杯楽しんできました
いこう斎さんのブログで マシュー・ウィルソンの優しさに共感して
いきなりアップ
もちろん、ほかのドライバーも撮りましたよ
『この方』 も私の前を通過して行きました。
またまた マシューです
今回は 『コンデジ』 ではなく、父親のお下がり 『デジイチ』 だったので
ほとんど、バッチリ写っていました
マシューのバックショット
写真の排気管 真っ赤っ赤
フォード・フォーカスRSは ターボ車なので バックファイヤーがスゴイ
2010年09月10日
2010年08月12日
グッバイ・ヒーロー
『グッバイ・ヒーロー』1987年作
『POLE・POSITION』1977年
『POLE・POSITION 2 』1980年
『WINNING・RUN』 1984年 のあとに上映された 『レース ドキュメンタリ映画』
以前、ビデオテープ で発売されたとき買って
グッバイ・ヒーロー 以外は DVD 化されて市場に出回っていますが
これだけは インターネット で探しても出てきません
先日、DVDを整理していると VHS→DVD に ダビング したものを発見
ひさびさに見てみました。
この中でも 1番印象に残っていた人は……
フランソワ・セベール (セバートと訳される場合もあります。)
1970年代初期 トップチームの ティレルの No2 として
1973年 ジャッキー・スチュワート の チャンピオン を援護して
自分の仕事をこなし、この年限りで引退する予定だった スチュワートのあと
次期 チャンピオン候補だった人。
女優 ブリジット・バルドーと 『浮名』 を流した 甘いマスクの男。
その彼も、1973年の最終戦 アメリカGPの予選中 ワトキンスグレン で命を落とした。
ビデオ では、その事故の様子はまったく写っていませんでした。
セベール の事故現場の写真。
彼の マシン は、激突した ガードレールの 『上段』 がめくれ上がった部分に車体の左半分を
そぎ落とされる形で大破した。
現場を見て戻った スチュワート の インタビュー で
『彼を確認できたのは、ヘルメット だけ… まるで屠殺場のようだった』 と…
結局、スチュワート はこの レース に出走することなく F1 の世界から引退していった
奇しくも出走 100戦目の レース で。
スチュワート の グランプリ 27勝の記録は
アラン・プロスト に破られるまでの 10年以上輝き続けた。
この事故がなければ、フランス人 初の 世界チャンピオン は
1985年の プロスト ではなく、セベール がなっていたかもしれない。
合掌
2010年06月02日
運命の日。
運命の 1974年6月2日。
いまから 36年前、富士スピードウェイで 富士GCシリーズ第2戦
『富士グラン300kmレース』 が開催されました。
このレースは、富士スピードウェイの歴史の中で最大の 『事故』 が起こったレースで
名物だった 30度バンクがこのレース以降使用されなくなりました。
事故原因は、かつてのニッサンでのチームメイト同士が
スタート直後の30度バンク進入時の厳しい先陣争いをした末に惨事は起こった。
結果として、2人の有望な 『鈴木誠一』 『風戸裕』 というドライバーが亡くなり
30度バンクは 『封印』 された。
6月1日発売の 『レーシングオン』 は、そのとき亡くなった 『風戸裕』特集になっています!
※北海道では発売日が 『若干』 遅れます
2010年01月24日
ラリー誌
『ラリー&クラシックス』 買いました。
目当ては……
『マツダ 323GT-X』
日本名 『マツダ ファミリアGT-X』 です
型式は、E-BFMR
グループAがスタートした 1987年デビューした車で
1600ccの フルタイム4WD です。
当時、ランチャの 『デルタ』 が無敵を誇っていた一角に
『くさび』 を打ち込んでやった 日本車でした。
私も、マイナーチェンジ後の この 『GT-Ae』 に乗っていました
GT の後ろの 『Ae』 とは
グループAのエボリューション(進化型)モデル というのを
前オーナーで、私のレース師匠の 『ヒゲさん』 に聞いたことがありました。
今でも、ファミリアに付けていた マツダスピードの 『アンダーガード』 は
家に保管してあります
2009年12月24日
カムバック!
以前から、復帰がウワサされていて
レース界のトップニュースにあがっていた ミハエル・シューマッハ。
2010年、メルセデスGPから、復帰します
フェラーリからではありませんが…
しかし残念ながら、2009年末をもって、パナソニックトヨタも撤退し
昨年ホンダも撤退したので、とうとう日本のメーカーがいなくなってしまいました。
景気がよくなり、再び日本のメーカーが 『復帰』 してくれることを願いたいと思います
2009年10月01日
鈴鹿!
オフ会の週、実家に帰省していた ミライさんから お土産をいただきました!
中を見て ビックリ
最初、ホンモノのアスファルトかと思いましたっ!
りむパパさんがバイクだったので、私は4輪!
風吹裕矢の ロータス・ヨーロッパ と 魅死魔国友 (字がちがう?) の フェアレディーZ432Rです
プラス、 『手裏剣ストラップ』 私のは 『大地の茶』 でした。
ミライさん、ありがとうございました!
2009年08月22日
シューマッハ、残念!
今週末、ヨーロッパGPで 電撃復帰予定だった ミハエル・シューマッハ。
残念ながら、スーパーバイクで転倒時にケガした傷が直っておらず
復帰が中止になってしまい 『真夏の夢』 になってしまいました
あ~~ぁ 残念。
2009年07月31日
シューマッハ、電撃復帰!
2006年、現役引退した ミハエル・シューマッハ。
今年のハンガリーGPで、負傷した フェリペ・マッサの 『代役』 として
ヨーロッパGP (バレンシア) から、ふたたび 『フェラーリ』 のステアリングを握ります
マッサのケガの具合にもよるが、シーズン終了まで走る可能性もあります
また、勝利記録をのばしてくれるかなぁ~
2009年03月21日
誕生日
今日は、アイルトン・セナの49回目の誕生日です。
もちろん、生きていればですが…
49歳になった セナは、どんなオジサンになっていただろう。
もちろん、引退していて
世界チャンピオン 11回
優勝 78勝
ポールポジション 72回
くらいには なっていたかな?(勝手な想像ですが…)
『Rothmans』 カラーのウイリアムズ。
1度も優勝できなかったマシンですが、前年、『無報酬でもいいから乗りたいマシン』と言っていた。
残念ですが、レースには 『~たら』 『~れば』 は存在しません!
後悔しない生き方をしたいと思います!!
2009年01月30日
ジル・ヴィルヌーブ
先日、『リンドバーグ』 で、偶然見つけた 『Gillse Villeneuve』 の洋書です。
彼は、1997年のF1世界チャンピオン ジャック・ヴィルヌーブの父親で
フェラーリのドライバーでした。
ここで…豆知識。
『ジャック・ヴィルヌーブ』 という人は、実は2人います!
1人は、もちろん ジルの息子で、もう一人は、ジルの弟です!
F1にも(アローズだったかな?) 何戦か出ていましたが、すぐに引退(?)してしまいました。
一説では、ラスベガスGPの際、カジノで契約金をスッてしまったから、シートを失ったとも…。
1979年のカナダGPの写真。
優勝したのは、『アラン・ジョーンズ』 でしたが
『少しでも気を抜くと、赤いフェラーリが、はなれず付いてきた。』
と、レース後、インタビューに答えていて、表彰台の様子でもわかるとおり
ジルを称えています。
1981年のモナコGPの写真。
テレビでも、TBS系で放送していて、私も見ながら、放送を録音!
画面を撮影!!しました(笑)。
またも、前年チャンピオンをとった 『アラン・ジョーンズ』 との争い。
ブラバムの ネルソン・ピケが、クラッシュ後
ジョーンズがトップを走るものの、エンジンにミスファイヤが発生しスローダウン!
ジルが、モナコGPで優勝しました!
1982年 5月 8日
ベルギーGP ゾルダーサーキット。
前戦、チームメイトの裏切りにあい、予選でチームメイトよりもいいタイムを出そうと
普段なら、絶対しないミスをしてしまい、スローダウンしていたマシンに乗り上げ
クラッシュしたマシン。
数年後、親友だった 『アラン・プロスト』 がインタビューで
彼の死後、どのような状況でも、自分を見失ってはいけない、常に冷静なドライビングをしなければ…
と、語っていた。
彼は、チャンピオンは獲得できませんでしたが…
記憶に残るチャンピオンです。
2009年01月25日
DVD
ミハエル・シューマッハ が無敵だったシーズンのDVDを見ています。
特に 2000年~04年までは 『常勝』 を誇っていた!
現役の頃は、特に好きなドライバーでもなく、逆にチャンピオンを争っていた他のドライバー
デーモン・ヒル 1996年チャンピオン
ジャック・ヴィルヌーブ 1997年チャンピオン
ミカ・ハッキネン 1998・99年チャンピオン
の方を応援していた。
しかし、引退を決めた 2006年の 『走り』 を見てファンになってしまいました!
その頃に、2000年~のDVDをさがしても、ほとんど売り切れ!
今回は、再販になったDVDを手に入れました。
2003年 04年も再販されないかなぁ~!
2008年11月16日
宝さがし。
ラリー車の部品です。
サーキットで走っている車両は、部品をコースに落としてもオフィシャルが
すべての落下物をかたずけてしまうので、何も残っていませんが
林道では、コースが荒れていると、落下物も多いです!
これは、おにぎり石のコーナーに落ちていました。
あの大きさの石なら、無理ないか!